小学生の時に初めて洋服を解体した
――長谷川さんは服飾の専門学校を卒業した後、アパレル企業で5年ほどモデリストとして働いていたそうですね。まず、衣服標本家を名乗るようになった経緯を教えてください。 長谷川:バラバラにすれば洋服の作り方がわかると思い、小学校5、6年生の頃に初めて洋服を解体しました。裁断したのは、祖母が若かりし頃に着ていた一張羅で、クローゼットに大切に保管していた紫のカシミヤのダブルジャケットです。無断でバラしたので、洋服の残骸を前にした祖母の目が点になっていたのを今でも覚えています。 ――それが原体験となって、分解への興味が強くなっていったんですね。 長谷川:そうかもしれません。実はもうひとつきっかけがあって、高校を卒業した後、服飾の専門学校で紳士服のパターンとデザインを学んでいたんですが、ある日、たまたま立ち寄った高円寺の古着屋で一着の古着と出合ったんです。 それは、およそ120年前のフランスで消防士が制服として着ていたファイヤーマンジャケット。小さな店内の壁にかけられていたその一着は、独特な存在感があって、とても美しかった。僕は目が離せませんでした。当時の僕からしたら3万円は高額でしたが、その美しさの謎が知りたくて、思い切って買うことにしたんです。 ――消防士の制服の美しさの正体とは、一体何だったのでしょう。 長谷川:それが、自宅に戻って実際に羽織っても、じっくり眺めても、最初はよくわかりませんでした。ゴワゴワした素材だし、シルエットも歪だし、惹かれた理由が見つからなくて、もどかしかった。それで買った日の夜に、ハサミを入れて分解してみたんです。
衣服標本家・長谷川彰良が100年前の衣服を分解する理由(週刊SPA!) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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