兵庫県明石市の歩道橋で、詰めかけた花火の見物客が倒れ、11人が亡くなった事故から21日で20年になる。あの夜、危険を顧みずに押しつぶされかけた子どもを助けた大学生がいた。その時の「ありがとう」が胸に響き、いま消防士として命と向き合っている。
花火大会、すし詰めの歩道橋で「意識がない」
当時、神戸学院大1回生だった宇宿(うしゅく)雄太さん(38)。今は三重県伊賀市の伊賀消防署東分署の主任だ。
2001年7月21日。花火大会を見るため、明石市の大蔵海岸へ友人と出かけた。
JR朝霧駅を出て海岸へ続く歩道橋(長さ約103メートル、幅約6メートル)に。前方の人だかりが進まなくなり、後ろからは人波が押し寄せ、次第に押しつぶされそうになった。屋根と側壁に覆われた歩道橋の中は暑く、酸素も薄くなって息苦しくなった。「砂浜に埋められたような感覚だった」
「意識がない」。すぐ後ろから叫び声が聞こえた。振り返ると、小学生らしい女の子が父親の腕の中でぐったりしていた。
1平米に13人超、立ったまま失神する人も
事故の調査報告書によると、歩道橋には最大約6400人がいたとみられる。最も過密状態だった歩道橋の南側では、1平方メートルあたり13人超がいた。周りからの圧力で両足が浮いてしまう人、立ったまま失神する人もいた。午後8時45分~50分、人々が折り重なるように倒れ込む「群衆雪崩」が起き、300~400人が巻き込まれた。
その現場の約10メートル後ろにいた宇宿さんは、思い切った行動に出た。
「屋根に上ります。肩を貸してくれませんか」。近くの人の体をよじ登り、中央部が開いている高さ約2・5メートルの屋根の上へ。その途中、悲惨な光景が見えた。折り重なった人の山、その上に仰向けで倒れた顔面蒼白(そうはく)の高齢女性。
屋根の上から、女の子を引っ張りあげた。「うちの子も」。別の男の子も託された。
一緒に来た友人も引っ張りあげると、そのまま屋根の上を駅側へと走り、歩道橋にいる人波に向かって声の限り叫んだ。「引き返してくれ」「前は大変なことになっている」
混乱の中、見失った女の子の…
20年前の惨事、助けた大学生と助けられた女の子のいま - 朝日新聞デジタル
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