フィリピンのベニグノ・アキノ3世前大統領が24日、死去した。61歳だった。
国民の崇敬を集めるアキノ一家の子孫で、愛称は「ノイノイ」。
2010~2016年の大統領在任中、南シナ海の領有権問題をめぐり、中国を国際法廷に提訴したことで知られる。フィリピンは海域の一部について、西フィリピン海だと主張している。
退任後は公の場にほとんど姿を見せず、静かな生活を送っていた。
死因は明らかにされていない。今週になって病院に入院していた。
父親は暗殺
父親はベニグノ・アキノ・ジュニア元上院議員、母親はコラソン・アキノ元大統領(ともに故人)。多くの国民から尊敬されたこの夫妻の唯一の息子だった。
「ノイノイ」は、父親の愛称「ニノイ」からつけられた。
父親はフェルディナンド・マルコス政権時代、アメリカに追放されていた。母国に民主主義をもたらそうと1983年に帰国したが、マニラの空港に降り立ってすぐ暗殺された。
これをきっかけに、民主化運動が盛り上がった。マルコス大統領は1986年2月に解散総選挙に打って出た。
母親のコラソン・「コリー」・アキノ氏が父親の後継者となり、父親がやり残した仕事を成し遂げると訴えた。
国民の間で「ピープル・パワー」革命と呼ばれた民主化運動が起こり、母親は大統領になった。クーデター未遂が数度発生し、マラカナン宮殿で1987年にあった銃撃戦では、「ノイノイ」氏も死の危機に直面した。
そのとき浴びた銃弾5発は生涯、彼の首の中に残ったままだった。
政治家としての歩み
4人の姉妹とともに成長し、名門アテネオ・デ・マニラ大学で経済学の学位を取得。その後、米ボストンで追放生活を送っていた家族に合流した。
フィリピンには1983年に帰国。さまざまな企業で働いた後、1988年に下院議員に初当選した。2007年には上院議員になった。
2010年の大統領選で圧勝して政権を握ると、汚職や貧困、老朽インフラの問題に取り組んだ。
ただ、フィリピンが抱える問題をすぐに解決するには「スーパーマンとアインシュタインが合体した」大統領が必要だと述べるなど、国民の期待をかわすような言動もあった。
大統領として最初の危機は、マニラ中心部で元警官が、香港からの観光客で満員のバスを乗っ取った事件だった。
世界にテレビ中継される中、人質となった乗客8人が殺害され、犯人は警察に射殺された。アキノ政権は、この事件の対応をめぐって厳しく批判された。
経済改革を推し進め、汚職を根絶しようと取り組んだ点では評価された。一方で、貧困対策は不十分だったとの批判もある。
2012年12月には、国民の意見が長年分かれていた「リプロダクティブ・ヘルス法案」を成立させた。避妊具や産児制限、性教育、母体健康管理などのサービスを提供する内容だった。
カトリック教徒が多いフィリピンでは激しい反対が起こった。だが専門家からは、女性を支援し、人口を管理したと評価された。
2013年には、南シナ海の領有権をめぐって、中国をオランダ・ハーグの仲裁裁判所に提訴した。
フィリピンのアキノ前大統領が死去 民主化進めた静かな「息子」 - BBCニュース
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