終戦の日の紙面で、元少年飛行兵の上野辰熊さん(93)=新座市=を紹介した。特攻出撃の寸前だった当時十七歳の少年には、厳しい軍隊生活の中で「あの一カ月は楽しかった」という日々がある。
終戦の半年ほど前、特攻機の準備のために滞在した岐阜・各務原飛行場でのこと。まず食べ物が違った。お膳で運ばれ、朝は一汁四菜。夜は肉も魚も出た。食糧難の時代でも、特攻は文字どおり特別だった。
宿舎の世話係に、同じ年頃の女性がいた。離任の日、彼女が着物の下の襦袢(じゅばん)の袖をちぎり、帯留めと一緒にくれた。その布をマフラー代わりに首に巻いた上野さん。出撃の日も肌身から離さないつもりだった。
その後、何回か続けた文通は途中でやめた。死が迫っているのに未練が残るから。今となっては、あの少女の気持ちは確かめようがない。二人を近づけたのも、遠ざけたのも戦争だ。運命の歯車。七十六年前の記憶に、そんな言葉が浮かんだ。(近藤統義)
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<各駅停車>76年前の少女 - 東京新聞
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