あの日、兄妹の夢をかなえる場所が決まった。
2013年9月7日。ブエノスアイレスで東京五輪の招致が実現した。男子66キロ級の阿部一二三が高校1年、女子52キロ級で妹の詩が中学1年のときだった。
一二三が出場した大会に応援に行き、詩は両親と埼玉県内のホテルに滞在。テレビで、その瞬間を見守った。「2人で出られたら最高やな」。父の言葉を聞いて詩も思った。
「東京五輪に出て、優勝したいな」。すでに同年代に敵なしと騒がれていた一二三は、もっと現実的に想像を膨らませた。「年齢とかを計算したときに、自分がピークの状態で東京が開催されると思った。自国開催で金メダルをとりたいと意識した」
翌14年から一二三のさらなる快進撃が始まった。
豪快に担いで投げる袖釣り込み腰を武器に高校2年秋の講道館杯全日本体重別選手権を制し、12月の国際大会も男子史上最年少で優勝を飾った。16年リオデジャネイロ五輪の代表候補にも一時は名乗りを上げ、17年、18年は世界選手権を2連覇。柔道界の新星は「東京五輪のホープ」と称された。
兄の背中を詩も追った。兄に負けないくらいの切れ味鋭い技で豪快に一本を狙う攻撃スタイルで、17年に兄と同じ高校2年で講道館杯を制覇。続くグランドスラム東京大会はシニアの大会で兄妹が初の同時優勝を果たし、2人で金メダルを首からさげて無数のカメラのフラッシュを浴びた。
そして、2人で世界の頂点を取る機会が訪れる。18年にアゼルバイジャンで開催された世界選手権。兄妹の同日優勝を果たした瞬間、一二三は「東京五輪も兄妹で優勝したい」との思いを強くした。詩も「ずっと前を走っていた兄と一緒に走れるようになった」と夢の実現に大きく歩みを進めた。
詩は19年に世界選手権を2連覇し、翌20年2月に代表内定を勝ち取った。一方の一二三は海外勢の対策に苦戦して足踏み。ライバルの丸山城志郎(ミキハウス)の猛追を受けた。しかし、昨年12月に日本史上初となった丸山との代表決定戦で、詩も見守る中、24分間の激闘を制覇。日本勢最後の五輪切符を手にした。
東京五輪は兄妹がシニア大会で10度目となる同時出場の舞台だった。先に金メダルを取った詩が「お兄ちゃんが今から。気が抜けない」と固唾をのむ中、一二三が「プレッシャーは全く感じなかった。すごく燃えたというか、絶対にやってやるしかないと思った」と続いた。
夢をかなえ、表彰式を待つ間、2人は抱き合って互いをたたえた。1年の延期をものともせず、最強の兄妹が最高の輝きを放った。(田中充)
一二三と詩、「8年前の夢」武道館で同日に実現 - 産経ニュース
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