* * * 6月25日、東京都港区の音楽スタジオ「スタジオアルディ」。ここで一風変わった“お宝”が、お披露目された。 縦約34センチ、横約9センチ、厚さ約5センチ。使い古したまな板のような木片は、アパートの柱の一部。そして黒文字でサインが書き記されていた。 <沢田研二 41.9.1.> 正真正銘、ジュリーこと沢田がサインしたものだった。柱の一部は55年前、ザ・タイガースのメンバーが暮らした大阪市西成区・岸里(きしのさと)の明月荘の廃材で、ジュリー自身の部屋にあったものだ。 「『昭和41年9月1日』のことだと思います。よく見ると『8』の字に『9』が上書きされている。最初はわからなかったのですが、おそらくサインしたとき、月の変わり目で、8月と書きかけて『9月か』と気づき、直したんでしょう」 熱心なファンの一人で、アルディ代表の中村政則さんは当時のジュリーを推測した。 ザ・タイガースは明月荘を出て1966(昭和41)年11月に上京。翌67年2月に「僕のマリー」でデビューを果たす。すぐにスターダムにのし上がっていった。 図らずも、中村さんのもとで展示されることになったサイン入りの柱。73歳を迎えたジュリーの誕生日である6月25日に、少数のファンにお披露目されたのは、ある“事件”が落着したからだった。 実はこの柱、今年3月にフリマアプリ「メルカリ」に出品されていたのだ。価格は50万円(当初は10万円)。商品説明には次のようにあった。 「沢田研二さんが東京へ出てザ・タイガースとしてメジャーデビューする前にメンバー全員で住んでいたアパート明月荘の柱に書かれていた物です。さよなら明月荘コンサートでもこのサインの話をされており、私もDVDに参加させていただいておりリーダーに現物確認していただいてます。まだファニーズとして歌っていた頃の物で柱を切り取りましたので約60センチ程<原文のまま>のサイズです。最後の写真は今でもお付き合いのあるグループサウンズの先駆者と言われる方とザ・タイガースのリーダー瞳みのるさんに見ていただいてるものです」
ジュリーが残した半世紀前の“聖地の柱” メルカリ出品騒動の顛末〈週刊朝日〉(AERA dot.) - Yahoo!ニュース - Yahoo!ニュース
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